ロングツーリングと言うか長い旅は何度か経験している車で一人姫路まで行ってみたり
一人でヨーロッパを電車で5ヶ国を一ヶ月間回ったり四国を周遊券を使って一周してみたり
北海道をぐるっと回ってみたり何度か二週間くらいの旅をしている。
機会があればいずれ紹介したいと思うが本当に単なる旅の記録なので(あっこれも同じか)。
そのほとんどが24歳の時で仕事をやめて時間が有り余った時だった。
若いうちは長旅も出来ればお勧めする視界が広くなる事うけあいだ。
「W3」九州の旅6日目 1987/6/14
この日は萩のユースホステルに泊まっていた、ストリートビューでそのユースを見てみたが
私が泊まった時と同じ建物だった階段の下にWをとめたなーなんて見ながら昔を思い出していた。
前日着いた時に自転車で日本を一周している方とユースで会い私も自転車好きだと言う事で
話が合い今日は一緒に市内観光をすることになった、萩は良いところだとはおぼえているのだが
何処に行ったのか一向に記憶に無い歩きなのでバイク用のブーツしか持って居なかったので
近くの履物屋さんで靴を買ったのはおぼえている。
当時まだコンビニとかなかったような記憶だ(間違ってたらごめんなさい。)山の中に入ると
忘れた頃に昔のコンビニ(よろず屋さん)がたまに有って農業用の丈夫な物が売っていた。
彼は他に行くところがあるとの事で夕方分かれて私はもう一泊 萩のユースに泊まることにした。
続く
2014年7月24日木曜日
2014年7月23日水曜日
少し若い時の旅について話そう。6
「W3」の燃費だがこの時は朝毎日10リットルを入れていたようにおぼえている。
私はかっとんで行くタイプではないので大体一日200キロを目安に次の宿泊地を決めていた。
1987/6/13 5日目ともなると結構遠くに来ている、松江ユースで知り合ったバイクで来ている
女性と一緒に朝出発した出雲大社が近いので一緒に行くことにした。
知らない方と(特に女性)出雲大社に行くのも微妙だがその時はそういう流れになってしまった。
日記によると日御崎まで一緒に行って出雲で別れたようだ、別に旅の途中のロマンスなど
ではなかった。
私はその後 萩を目指した日本海側の海沿いをひたすら走る。
途中の北浦街道は本当に良かった約60キロをキープしながら走る「W3」はこのスピードが
なんとも言えない本当にバイクで走っている醍醐味を味わえる当時その時期は海がべたなぎで
海だかなんだかわからない平面の水溜りのような海岸線を心地よく走った。
この時の瞬間は今でも忘れずに心に残っている。
バイクの音 走行音 波のかすかな音(Wの音に隠れている)Wに乗っている事をこの時程
至福に感じたことは無い。
日記にも「贅沢な時間だった。」と書いてあった。
私はかっとんで行くタイプではないので大体一日200キロを目安に次の宿泊地を決めていた。
1987/6/13 5日目ともなると結構遠くに来ている、松江ユースで知り合ったバイクで来ている
女性と一緒に朝出発した出雲大社が近いので一緒に行くことにした。
知らない方と(特に女性)出雲大社に行くのも微妙だがその時はそういう流れになってしまった。
日記によると日御崎まで一緒に行って出雲で別れたようだ、別に旅の途中のロマンスなど
ではなかった。
私はその後 萩を目指した日本海側の海沿いをひたすら走る。
途中の北浦街道は本当に良かった約60キロをキープしながら走る「W3」はこのスピードが
なんとも言えない本当にバイクで走っている醍醐味を味わえる当時その時期は海がべたなぎで
海だかなんだかわからない平面の水溜りのような海岸線を心地よく走った。
この時の瞬間は今でも忘れずに心に残っている。
バイクの音 走行音 波のかすかな音(Wの音に隠れている)Wに乗っている事をこの時程
至福に感じたことは無い。
日記にも「贅沢な時間だった。」と書いてあった。
2014年7月22日火曜日
少し若い時の旅について話そう。5
写真を見るとやっぱり若いこの時は30歳やせてる。
この日の目的地は松江のユースにしてあさ電話をする。
平日なので何処に行っても泊まっている人は少ないおまけに当時の日本海側は
本当に車が居なかったオートバイで走るにはとっても快適な日々だった。
丹後半島には行かずに国道312号を一路日本海に向かって進むが山の中快適には
走っているが緑ばかり・・・。
写真が前後するが森林を抜けて突然開けると、そこには餘部鉄橋が見えた!
本当に突然に現れたようにおぼえている今はこの鉄橋は確かなくなって架け替えられている
ストリートビューで確認すると現代的なコンクリートの橋梁になっているが当時は本当に
圧巻だった。
しばらく178号を通って鳥取の砂丘へ。
上の写真がその一枚はじめにも書いたが、やっぱり若い髪もあったし体型も細い。
この服装は作業着にワッペンをべたべた自分で縫い付け走っている最中は常に
腕をまくっていた日差しが強いのも忘れて・・・。
松江ユースまでは260キロの道のりだった。
確かこの日だったか昼飯に街道沿いのラーメン屋に入って食べていると大将がオートバイで
来たのか聞いてきた「W3」で走ってると言うと仕事の手を止めて外に出てしげしげと懐かしそうに
見ていた「俺も昔このバイクに乗ってたんだ。」このバイクは人を呼ぶようだ。
続く
この日の目的地は松江のユースにしてあさ電話をする。
平日なので何処に行っても泊まっている人は少ないおまけに当時の日本海側は
本当に車が居なかったオートバイで走るにはとっても快適な日々だった。
丹後半島には行かずに国道312号を一路日本海に向かって進むが山の中快適には
走っているが緑ばかり・・・。
写真が前後するが森林を抜けて突然開けると、そこには餘部鉄橋が見えた!
本当に突然に現れたようにおぼえている今はこの鉄橋は確かなくなって架け替えられている
ストリートビューで確認すると現代的なコンクリートの橋梁になっているが当時は本当に
圧巻だった。
しばらく178号を通って鳥取の砂丘へ。
上の写真がその一枚はじめにも書いたが、やっぱり若い髪もあったし体型も細い。
この服装は作業着にワッペンをべたべた自分で縫い付け走っている最中は常に
腕をまくっていた日差しが強いのも忘れて・・・。
松江ユースまでは260キロの道のりだった。
確かこの日だったか昼飯に街道沿いのラーメン屋に入って食べていると大将がオートバイで
来たのか聞いてきた「W3」で走ってると言うと仕事の手を止めて外に出てしげしげと懐かしそうに
見ていた「俺も昔このバイクに乗ってたんだ。」このバイクは人を呼ぶようだ。
続く
2014年7月19日土曜日
少し若い時の旅について話そう。4
前回に書いた日の目的地は京都で泊まった所は「宇多野ユースホステル」最近ストリートビュー
で見たが大変綺麗なユースホステルになっていた。私が泊まった27年前はもっと昔のユースの
感じが色濃く出ていたような思い出が有る。
二回目に書いたとき ユースのスタンプ帳の写真を出したが長く旅を続けているとスタンプ帳が
足りなくなるので補助帳をもらえる「宇多野ユースホステル」でもらった物には、なんと「W3」の
イラストが描かれた物だった。
これは当時ヘルパーをやっていた大学生達の一人が作ったそうで彼は非常に「W3」のファン
のようで私が乗って現れたとき表に出て迎えてくれたような思い出がある。
フロントに居たのだが事あるごとに熱く「W3」の事を語ってくれたような・・・。
「宇多野ユースホステル」を出発する時またがって悦に入っていた彼の見送りを残して
3日目(1987/6/11)の出発をする。
このような旅をする時私は大体朝に次のユースホステルに電話をして今日泊まるところを
先に予約してしまう今日の目的地は「天橋立」結構近いがここにはこの時点で6年前にも
泊まっていた。 あの時は車で来たのだがもし機会があったらまた書くことにしよう。
途中に「元伊勢神宮」と言うところに寄って内宮や外宮を見て天岩戸も見た。
あーおことわりがもう一つなにぶん昔の事を思い出しているので話が前後するかもしれないし
細かいところまでは日記に残ってないので、その点適当に読んでください。
やはりこの日もオートバイの爆音を供に走りを楽しみながら目的地に向かった天橋立近辺は
舟屋が多いしかも道が狭い入り江は穏やかで気持ちが良く早めにユースに着く、このユースには
外のベランダにベンチがあったので疲れた体を横にしていた。
走ってばかりなので少し疲れた事をおぼえている。
続く
で見たが大変綺麗なユースホステルになっていた。私が泊まった27年前はもっと昔のユースの
感じが色濃く出ていたような思い出が有る。
二回目に書いたとき ユースのスタンプ帳の写真を出したが長く旅を続けているとスタンプ帳が
足りなくなるので補助帳をもらえる「宇多野ユースホステル」でもらった物には、なんと「W3」の
イラストが描かれた物だった。
これは当時ヘルパーをやっていた大学生達の一人が作ったそうで彼は非常に「W3」のファン
のようで私が乗って現れたとき表に出て迎えてくれたような思い出がある。
フロントに居たのだが事あるごとに熱く「W3」の事を語ってくれたような・・・。
「宇多野ユースホステル」を出発する時またがって悦に入っていた彼の見送りを残して
3日目(1987/6/11)の出発をする。
このような旅をする時私は大体朝に次のユースホステルに電話をして今日泊まるところを
先に予約してしまう今日の目的地は「天橋立」結構近いがここにはこの時点で6年前にも
泊まっていた。 あの時は車で来たのだがもし機会があったらまた書くことにしよう。
途中に「元伊勢神宮」と言うところに寄って内宮や外宮を見て天岩戸も見た。
あーおことわりがもう一つなにぶん昔の事を思い出しているので話が前後するかもしれないし
細かいところまでは日記に残ってないので、その点適当に読んでください。
やはりこの日もオートバイの爆音を供に走りを楽しみながら目的地に向かった天橋立近辺は
舟屋が多いしかも道が狭い入り江は穏やかで気持ちが良く早めにユースに着く、このユースには
外のベランダにベンチがあったので疲れた体を横にしていた。
走ってばかりなので少し疲れた事をおぼえている。
続く
2014年7月18日金曜日
少し若い時の旅について話そう。3
私がこのオートバイを手に入れた経緯はお話したが、そのときもう製造されてから11年の時が
たっていた。あの頃は車検も一年しか取れなかった事を覚えている。
九州行き二日目のお話を。
朝 御前崎ユースを出る時やっぱり雨が降っていたようで(当時を思い出しながら)寒かった事が
日記に書いてある。 ここら辺は記憶が定かではない6月と言う事もあり南に行くのだから
暖かいだろうと長袖のものをあまり持っていかなかったようで寒かった旨が書いてあった。
今思うと本当に行き当たりばったりと言う感じで家を飛び出したようだ。
しばらく走っていると何とかはれて気持ちよく走っていたと思う(寒いのは変わりなかった。)
途中「琴滝」と言うところで休んだ最初に書いた時に載せた写真がそこである。
その道の途中事件(事故かな)発生・・・ 走行中なぜか左のバックミラーが左右に振れていた
走りながら手で持ってみるとあっけなく抜けた・・・?止まってバックミラーのネジ部分を良く見ると
金属疲労で折れていた!当時は意外と冷静に「右が残っているからいいや!」と思いそのまま
京都に向かっていた。おおらかなオートバイに乗ると気持ちもおおらかになるようである。
Wは振動が凄い!高速で100キロは快適ではない下道を60キロ一定走行で 非常に快適。
道は結構 山の中で途中に映画のロケ地になった所などがありたびたび止まりながら
走っていった。
ミラーが折れた以外には快適なオートバイの旅を堪能していた。
続く
たっていた。あの頃は車検も一年しか取れなかった事を覚えている。
九州行き二日目のお話を。
朝 御前崎ユースを出る時やっぱり雨が降っていたようで(当時を思い出しながら)寒かった事が
日記に書いてある。 ここら辺は記憶が定かではない6月と言う事もあり南に行くのだから
暖かいだろうと長袖のものをあまり持っていかなかったようで寒かった旨が書いてあった。
今思うと本当に行き当たりばったりと言う感じで家を飛び出したようだ。
しばらく走っていると何とかはれて気持ちよく走っていたと思う(寒いのは変わりなかった。)
途中「琴滝」と言うところで休んだ最初に書いた時に載せた写真がそこである。
その道の途中事件(事故かな)発生・・・ 走行中なぜか左のバックミラーが左右に振れていた
走りながら手で持ってみるとあっけなく抜けた・・・?止まってバックミラーのネジ部分を良く見ると
金属疲労で折れていた!当時は意外と冷静に「右が残っているからいいや!」と思いそのまま
京都に向かっていた。おおらかなオートバイに乗ると気持ちもおおらかになるようである。
Wは振動が凄い!高速で100キロは快適ではない下道を60キロ一定走行で 非常に快適。
道は結構 山の中で途中に映画のロケ地になった所などがありたびたび止まりながら
走っていった。
ミラーが折れた以外には快適なオートバイの旅を堪能していた。
続く
2014年7月17日木曜日
少し若い時の旅について話そう。 2
旅のお話の前にオートバイの事だが当時私は小説にこっていた「片岡義男」後存知だろうか?
「彼のオートバイ彼女の島」だったり彼の小説にはオートバイが多く登場する 自分もすっかり
彼の小説にどっぷりと浸りその中から「W3」に興味を持ってしまった。
「W3」はW系の最終型で当時はあまり流通していなく(今みたいにネットが無いので探せなかった。)Wがどうしても欲しかった私は「W3」を手に入れる前に「W1SA」を手に入れていた。
(これは後に譲ってしまった。) 「W1SA」は癖がありどうも自分にはなじめなかった。
当時は携帯電話も無く今の人達からすればどうやって連絡を取っていたのか
不思議かもしれない私も今から思うと時間の流れが今とちょっと違うと感じてしまう。
そうこうしているうちに知り合いのエディターの方から連絡があり「W3」の出物があるとのこと
一発返事で欲しい旨を伝えて近く取りに行く事にした。それが所有している「W3」なのだが
前の所有者が高田馬場のさる自転車屋さんのお兄さんだった。あまり乗らなかったようで
一目で気に入り譲ってもらう、 それが「W3」との出会いだった。
乗ってみるとトルクが強く運転が非常に楽だ、ただうるさいし(当時はかっこいいと思う音だったが。)重いのでしまうのも一苦労でセンターを立てるのが億劫だった程(でも「W1SA]よりも楽だった。)エンジンをかけるのもキックのみ非常に男気あふれるオートバイで(当時168センチ57キロ)自分には大きく感じたものだ。 脱線したがオートバイの入手経緯がわかったと思う。
続く
「彼のオートバイ彼女の島」だったり彼の小説にはオートバイが多く登場する 自分もすっかり
彼の小説にどっぷりと浸りその中から「W3」に興味を持ってしまった。
「W3」はW系の最終型で当時はあまり流通していなく(今みたいにネットが無いので探せなかった。)Wがどうしても欲しかった私は「W3」を手に入れる前に「W1SA」を手に入れていた。
(これは後に譲ってしまった。) 「W1SA」は癖がありどうも自分にはなじめなかった。
当時は携帯電話も無く今の人達からすればどうやって連絡を取っていたのか
不思議かもしれない私も今から思うと時間の流れが今とちょっと違うと感じてしまう。
そうこうしているうちに知り合いのエディターの方から連絡があり「W3」の出物があるとのこと
一発返事で欲しい旨を伝えて近く取りに行く事にした。それが所有している「W3」なのだが
前の所有者が高田馬場のさる自転車屋さんのお兄さんだった。あまり乗らなかったようで
一目で気に入り譲ってもらう、 それが「W3」との出会いだった。
乗ってみるとトルクが強く運転が非常に楽だ、ただうるさいし(当時はかっこいいと思う音だったが。)重いのでしまうのも一苦労でセンターを立てるのが億劫だった程(でも「W1SA]よりも楽だった。)エンジンをかけるのもキックのみ非常に男気あふれるオートバイで(当時168センチ57キロ)自分には大きく感じたものだ。 脱線したがオートバイの入手経緯がわかったと思う。
続く
2014年7月16日水曜日
少し若い時の旅について話そう。
私も結構歳を取ってしまったので最近は自転車に10キロ程乗ると帰ってから階段を上ったり
降りたりするのがつらくなってしまう・・・情けない。
少し若い時のお話を。
今から27年ほど前24歳から始めた今の仕事を29歳で一旦やめて1年間ネクタイを締めて
行く仕事に就いていた、しかし悲しいかな?自営業経験者は宮使いは慣れず翌年に辞めてしまい
しばらくプーになっていた工場が残っているので早々に前に仕事をもらっていたところに連絡を
取っておいたが、そんなに早く仕事をいただけるはずも無い。
当時まだ独り者だったので「いっそのこと自由な時間を使ってしまえ。」と前の年に手に入れていた
バイク(カワサキW3)で 九州に行くことにした。
出発は1987年6月9日この日は梅雨に入ったが曇っていたような思い出がある、ただ風が強く
246の橋の上で大きなポリ袋が飛んできてバイクの排気管にべっとりついてしまいしばらく
臭かった246をひたすら走っていると箱根の山で雨が降ってきたしばらくそのまま走っていたが
本降りになり体はびしょびしょに風邪でも引くと後々困るので陸橋の下で濡れているのにも
かまわず、これ以上濡れないように合羽を着た。当日は何処にも寄らず(雨もあったので)前日
連絡しておいた御前崎ユースに速めに入った。
着いてすぐに着ていた服を乾かすが雨なので・・・そして排気管に着いた溶けたポリ袋の塊を
ナイフで剥ぎ取る作業をした思いのほか付いていてがっかりした思い出がある。
明日は晴れると良いなーなんて思っていた事もうっすら覚えているが梅雨に出てきてしまったので
しょうがないとも思っていた。
続く
降りたりするのがつらくなってしまう・・・情けない。
少し若い時のお話を。
今から27年ほど前24歳から始めた今の仕事を29歳で一旦やめて1年間ネクタイを締めて
行く仕事に就いていた、しかし悲しいかな?自営業経験者は宮使いは慣れず翌年に辞めてしまい
しばらくプーになっていた工場が残っているので早々に前に仕事をもらっていたところに連絡を
取っておいたが、そんなに早く仕事をいただけるはずも無い。
当時まだ独り者だったので「いっそのこと自由な時間を使ってしまえ。」と前の年に手に入れていた
バイク(カワサキW3)で 九州に行くことにした。
出発は1987年6月9日この日は梅雨に入ったが曇っていたような思い出がある、ただ風が強く
246の橋の上で大きなポリ袋が飛んできてバイクの排気管にべっとりついてしまいしばらく
臭かった246をひたすら走っていると箱根の山で雨が降ってきたしばらくそのまま走っていたが
本降りになり体はびしょびしょに風邪でも引くと後々困るので陸橋の下で濡れているのにも
かまわず、これ以上濡れないように合羽を着た。当日は何処にも寄らず(雨もあったので)前日
連絡しておいた御前崎ユースに速めに入った。
着いてすぐに着ていた服を乾かすが雨なので・・・そして排気管に着いた溶けたポリ袋の塊を
ナイフで剥ぎ取る作業をした思いのほか付いていてがっかりした思い出がある。
明日は晴れると良いなーなんて思っていた事もうっすら覚えているが梅雨に出てきてしまったので
しょうがないとも思っていた。
続く
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