2014年8月11日月曜日

少し若い時の旅について話そう。19

オートバイの旅は天候に左右されると思うが運良く27年前の旅では あまり悪い天気では
なかった。 実を言うと日記は前回の日にちで切れている
たぶん急ぐあまり書くのもめんどくさくなってしまったのだと思う。
どうも詰めが甘いのは昔も今も変わらない。

1987/6/26 18日目
尾道を出て走りに走り神戸に向かった途中の景色などは、すっかり忘れている尾道から
神戸と言えば途中には岡山や姫路など見るところは結構あるのだが この時点から6年前に
車で姫路城に来ていたので見なかった。

神戸ではユースではなく船員会館と言うところで素泊まりをした。思い出すと夕食を何処で
取ろうかと思い町に出て小さな居酒屋に入りカウンターで飲んだのを思い出す カウンター越しに
大将とやり取りして関西は阪神タイガースの話題を振っておけば間違いないと思い その話で
盛り上がったような思い出がある。

宿に戻って家に電話をすると用事が出来ていたので明日は高速を使って帰る旨をお袋に
告げた。

1987/6/27 19日目
船員会館を出てすぐ高速に乗り関東まで名神から東名に入り帰り道を急いだ。
高速ではトラブルも無かったがWでの高速は思いのほか振動で疲れる。
サービスエリアにたんびたんびに寄って休みながら走ったWで高速は あまり楽しくない。
その後 家に着いて旅が終わった。


最後の3日間は一気に帰ってきたように思う さすがに19日間も家に居ないと ダメ感と
仕事をしないといけないと言う思いが脇目を振らせなかったように思う。
(仕事をしない罪悪感もあった やっぱり気が小さいやつである。)
それと瀬戸内海沿いは交通量も多く走っていても排気ガスが多く日本海側を走って来た
身には なんだかつまらなく感じてしまったように思う。

しかし九州の旅は本当に心に残る旅だった 人に説明しても年寄りの昔話になるだけだが
本人の生活の糧になっている事は確かだ もし貴方も時間が有ったら少し無理して
遠くに時間をかけて出かけるのも良い事だと思う。
きっと人生にほんの少しのスパイスになる事は保証する。

私自身は独身の時に結構長旅を謳歌していた2014年から33年前は半年も旅に費やした
事もある それはまた書く気になったら書いて見たいと思うが思い出で良いかもしれない。
もしその頃の事を聞きたかったら どうか飲みにでも誘って欲しい おじさんの昔話は
しつこいよ。

W3での旅物語は終了します。

2014年8月7日木曜日

少し若い時の旅について話そう。18


オートバイや自転車で走るなら断然 日本海側を走りたい。
ただ坂などが多く自転車だと辟易するかも。

1987/6/25 17日目
下関のユースを出発するとひたすら走り帰路にいそしんだ。
途中山道に看板が見えた そう錦帯橋の全然知らなかったが看板が見えると寄っていこうと
道を折れると錦帯橋が見えたWを止めてしばらく見ていた木で作ってあるが昔の職人さんは
凄いと思った。今ならさしずめ強度計算やCADで出来るところを経験でやってのける・・・。
(今でも詰めは職人の腕に掛かっているが当時の方が凄い。)

途中「宮島」に渡る港で一休みしたが港から宮島を見たが渡らなかった。

宮島を後にして今度は広島に市内に入ると「原爆ドーム」ま近に見ると圧巻だった。

ひたすら走る・・・。
Wの調子は良いのだが道に車が多くなり走っていてもなんだか走っている実感が無かった。

今日の宿は「尾道」ユースの名前は「尾道友愛山荘」と言うところで山の上にあった。
ユースに入ると尾道と言う事で映画の解説や張り紙が壁に狭しと飾ってあった。

着いてしばらくして歩いて海まで狭い坂道を降りていった 時々テレビで写っているように
人の家の軒先ほどの狭い道・・・尾道に来たんだと感慨に浸る。
なんだかここを歩いていると初めて来たのに日常を感じてしまった。

映画の一場面を遠くに見たような気がした。

続く



2014年8月6日水曜日

少し若い時の旅について話そう。17

オートバイで雨の中を走るのは好きではないが長旅をしているとどうしても過ごさないといけない
私はあまり良い合羽を持っていなかったので結構苦労したが運転が下手な分スピードを出さない
事もありそれなりに過ごしていた。Wの重量にも多少助けられていたのかもしれない意外と
滑らず雨でもそれなりに快適だった。ただオーバーブーツは良い物をお勧めする。

1987/6/24 16日目
別府のユースを出発して国東半島の根元にある「熊野磨崖仏」を見る。確かここで一人旅方に
会う。その方はモトクロッサータイプのバイクで来ていた。今までの事などを多少聞いてみた。
熊野磨崖仏を出発して関門トンネルに向かった。

トンネル内は一度経験しているがやはり緊張する。

それほどの距離は走っていないのだが今日は「下関火の山 ユースホステル」に泊まることにした
ここは山の上にあり関門橋が良く見える良い景色で早く着いた事もあったので 
たしか関門トンネル には人道もあるのを知っていたのでせっかっくなので歩いて関門トンネルに
行き人道を通って九州側に行ってみた人道に行くにはエレベーターで降りるのだが降りて
向こう側を見通すが見えない・・・トンネルが湾曲していて向こう側は見えないほど中ほどが
低くなっていた。別段スリルとかも無いのだがなんだか海底を歩いているのが不思議だった。

もし行くような事があったら歩いて行く事をお勧めする 確か無料だったが今はどうなのかな?

このユースは本当に景色が良かったストリートビューで見ても良い所に建っている。

だんだん旅も残り少なくなってきてテンションが下がってきているようで日記も文字が少なく
なっている。

続く

2014年8月5日火曜日

少し若い時の旅について話そう。16

写真はアルバムの中からだが どこかわからない参考に・・・。

当時(1987年)
旅に出るとカメラで皆さん撮ると思うが最近は携帯で撮ってしまうので取り立ててカメラを持って
いく事はないと思う当時は携帯など無く有ったかも知れないが巨大で当然カメラなど付いている
物ではなかった 営業関係の友達が持っていたが今ならさしずめ恥ずかしくて使えない大きさだ。

当時と言うかほんの少し前まではフィルムカメラしか無かった この旅の写真ももちろんフィルム
なのでデジタルに変えるには携帯で写真を撮ってしまう方が手っ取り早い当時使っていたカメラは
「写るんです」にフィルムが自動送りになっているような簡単な物だった。走りながら撮ってみようと
腰に付けていたが危険で一回撮ったらやめてしまったがしまうのが面倒なので腰につけていた。

1987/6/23  15日目
別府のユース(調べたら私の泊まったユースは無くなっていて小さな民家のようなユースになっていた。)をでて本州に渡ろうとしたのだがユースのヘルパーと気が合いもう一泊する事になりWで
どこか走ろうと思い「国東半島」を回ることにした 確か良い天気で海岸線は気持ちよかった。
国東半島と言うと確か南こうせつさんが住んでいるのが有名だがとりたてて行くつもりは無く
淡々と一周した 海岸でWを降りてしばらく海を見ていたり一日中海岸線を走りながら時間が
過ぎていった。いい景色の中をWで走るとやっぱり来て良かったと思うのである。 

バイクの開放感 を存分に味わってまた別府ユースに戻った。
別府は町を走ると白い蒸気でいっぱいで民家の風呂も温泉で良い 勤めて働いていた時に
同僚の女性が別府の方で東京に来たら真っ先に肌が荒れたと言っていたのを思い出した。

ヘルパーがどう言う方でどんな話で盛り上がったのかはすっかり忘れているが楽しかったのだと
思っている 出ないとこんなに良い思い出として残ってはいないだろう。

明日は本州に渡ろうと思っていた。

続く


2014年8月4日月曜日

少し若い時の旅について話そう。15

6月ごろでもバイクで走っていると長袖はつらい しかし肘を出しての半そでも怖い 
そこで長袖を腕まくりしてバイクに乗っていると日差しで腕が焼ける・・・Wの場合と言うか
バイクの場合はどうしても手袋もしないと振動でいつもバイブレーターを握っているように
なってしまう そんなわけで、この旅の私の腕はしっかり「どかた焼け」になってしまった。
観光地で歩いていると恥ずかしかった。

1987/6/22 14日目
家を出発して旅も二週間たってしまった。
昨日泊まった高千穂のユースで朝食をいただき出発の時には女将さんが手を振って
送ってくれた。 今日は山並ハイウエーを通って別府まで行こう・・・ユースをでて山道を走る
曲がりくねった本当に山道をWは快調に走る天気も上の写真のように上天気だった。

この日だったかガソリンを入れようと山道の途中のガソリンスタンドに寄り店員さんに
無鉛ハイオクをお願いすると無いとの事 有鉛ならあると言う・・・この頃のバイクは有鉛の
方がバルブに良いと聞いていたので お願いしたこの年代ではすでに有鉛は無いはずなのだが
山で使っている農機具は有鉛でないとエンジンがいかれてしまうので有鉛しか置いてないとの
事だった。

山並ハイウエーを走っていると寒くなって来た持っていたすべての 服を着ても寒いので
地図を広げて服の中に入れて風をしのいでいたがそれでも寒いので どこかに温泉でも
ないかと思いハイウエーを外れて下に下がっていくと・・・なんだか小さな小屋が何件か
建っている住宅の中ほどに有った、覗いてみるとこんこんとお湯が出ている小さな無料の
温泉で更衣室は湯船の脇の棚だけ上のほうに衣類を置かないとお湯で濡れてしまうほど
湯船に近い 近所の方に聞いてみようと家のチャイムを鳴らすが誰も居なかった。

しかし寒いので外にWを止めて湯船脇ですばやく服を脱いで湯船に入る・・・気持ち良い!
誰も居ないのだが湯船脇にはケロリンの桶があり近所の方が使っているのはわかった。
体が温まるまで入っていたが誰も来なかったし外に出ても誰も居なかった。
さすがに九州、温泉が多い。

別府のユースも温泉で今日は温泉三昧・・・ただユースに着いて一番に入ったら先ほど
入れ替えたばっかりなのかぬるかった・・・。

2014年8月1日金曜日

少し若い時の旅について話そう。14


Wでの旅にあたって、どのような靴を履いていこうか出発する前に少し悩んだワークブーツで
行くかロングブーツで行くか・・・結局ロングブーツにしたのだがバイクにまたがってばかりなら
ブーツで良いのだが歩きが有るとやっぱりワークブーツの方が良い両者の良いところは
あるのでやっぱり悩む。

1987/6/21 13日目

青島ユースを出発すると今日は良い天気だった。これからどのように回るか悩む・・・このまま
別府に行こうとしたが地図を見ると行きたかった高千穂が残っていた 九州の中ほどに また
戻って高千穂へ Wの快音を聞きながら一路向かう。
午後から天気が良くなく気温も下がって少し寒い。高千穂峡に着いてしばらく景色を見ていた
いつだったか絵葉書や本に載っている景色と同じで高千穂に来た事を実感する。

2011年に家内とツアーでも高千穂に寄った あの日と同じ場所で夫婦で同じ景色を見ていた
この旅については何度も家内に話しているので 少々辟易気味に家内は聞いていた。

当時は彼女と来れば最高だろうと日記には書いてあった。

本日の宿のユースホステルは高千穂神社の鳥居の前だった。
(ここも今現在ユースはやめているようだ。)

夕方に入り寝場所を教えてもらうと なんと神社の参道の中ほどに建っている一軒やで脇から
バイクで上り家の前に駐車して中に入るとひどい事に部屋の中は汚い・・・前泊者は掃除を
したのだろうか?今日は私一人なのでまずは掃除から始めた。

夕食は日が落ちて鳥居の前の土産物屋(ここがペアレントの家でもあった。)で頂く 田舎料理で
家庭的 凄くおいしかったのをおぼえている。
夕食後風呂をいただき 参道を登って帰るのだが・・・暗くて怖い・・・一人しか泊まっていないので
参道を登るのはちょと勇気が入用だった。

あの時ほど夜の神社の参道が怖かったことは無い特に宿に入っても一人なので本当に怖かった。

続く