長旅をしていると洗濯が大変で当時なかなかコインランドリーが見つからなかった。
たまにあるのだが今のようにちょっと走るとすぐに見つかる状況ではなかったような記憶がある
ユースにある場合は全身身に着けている物は着いてすぐに洗う事にしていた。無い場合は
普通の石鹸で手洗い特にパンツは着いてすぐ洗っていた。(乾かないもんね。)
最初の日に雨で上着が濡れた時は翌日半乾きで着てしまい走って乾かすと言う荒業も使って
毎日を過ごしていた。
1987/6/16 8日目
前日から泊まっていた北九州ユースは私一人しか泊まっていなかった。広いユースで少し
さびしかった旨が書いてある、ただ食事がうまかったのが救いだったようだ。
確か一人で食堂ではなくリビングのようなところで食べたような記憶がある。時期はずれに
旅をしているので たびたびこういった状況になるさびしいのは旅の情報交換が出来ない。
今日の目的地は長崎にした距離があるように感じたが意外と近かったようで途中「大宰府 」
によって見る ただ大きな神社だと書いてあったので(日記に)あまり感慨が無かったようである。
私の備忘録として書いているので今(2014)の考えと当時(1987)の考えが交錯して自分でも
ある種 バックツーザフューチャー状態で面白い。
あの時は長崎に来てここまで来たんだと言う感慨にふけったようだ実際8日も走っているのだから
(途中連泊もあるが)遠くまで来ている今は一人では中々行くことは出来ない。
長崎に来たので大浦天主堂やグラバー邸を見る。それから25年後に家内とツアーで同じところを
行って来た あの時バイクを何処に止めたのかすっかり忘れていて道すらおぼえていなかった。
今日は長崎オランダ坂ユースに泊まる、あの坂道 学生が行きかうところにバイクを止めていた。
このユースは夕食が出ないと言うのでユースで合った方と町の居酒屋に行きお酒を飲んだ。
(当時ユースでは飲酒はいけない事になっていたのだがそれはそれで・・・。)
飲んで食べてユースに帰り風呂に入って寝ることにした。
(あまり飲んでしまうと追い出されてしまう・・・かな?)
最近調べたのだが「長崎オランダ坂ユースホステル」は跡形もなくなっていて思い出だけが
輝いている。
続く
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