長旅をする時にお金はどうしたかと言うと「ゆうちょ」に入れておいた。
当時はカードがあったか忘れたが日本国中何処に行っても郵便局はあるので便利だった。
今だったらコンビニが全国にありATMも設置されているので良いのだが当時はコンビニが
無かったように思う。 旅先で多額なお金を持っているのはちょっと心配ですからね。
1987/6/18 10日目
阿蘇ユースで一緒に泊まった方にスイス人の方が居た つい「バイクに乗って行く? 」と
言ってしまったがヘルメットが無い・・・丁重にお断りしなければならなかった、でも英語も
出来ない私どうやって誘ったかどうやって断ったかすっかり忘れてしまった。
彼も阿蘇の噴火口を見に行くとの事だったのでついつい誘ってしまったのだが本当に
申し訳なかった。でも火口にに着くと彼が居た・・・バスのほうが早かった。
上の写真は彼に撮ってもらったものだと思う。
阿蘇を出発して一路鹿児島に向かった。途中結構な距離があるのだが何処を通ったのか
すっかり忘れている 日記にも書いてないのでひたすら走ったのだと思う 。
鹿児島に着いて結構走ったのでWのオイル交換をしようと思い手ごろなバイク屋を探すと
通り沿いに古い作りのバイク屋があった店先にはWと同じような「サンパチ」などが置いてあり
ここならWのオイル交換も出来るだろうと入ってみた。
案の定良く知っていて「お兄ちゃんエンジンがさめるまでお茶でも飲んでな!」と店先の
いすに案内された しばらく話していると「お兄ちゃん このバイク売ってかないか?」と言う
それは困るので断ると「飛行機で帰れば良いじゃないか。」との事凄いバイク屋に
入ってしまったものだと感じたが いざオイル交換になると手際は良かった。Wのオイル交換は
一手間居るのだドライサンプのタンクが右に付いていてドレンボルトを取るとミッションカバーに
完全にかかってしまう それをよけるのに紙で漏斗を作りうまく下に落ちるようにしないといけない
その事を何も言わずにやっていた このバイク屋さん知ってる・・・と思い自分の判断が間違って
いない事がわかった。
交換をしてお金を払って また走り始めると鹿児島の街は火山灰で凄い道の端には砂のような
火山灰だらけで夏は洗濯物を干すのも大変なようだ。
今日の宿は「鹿児島婦人会館ユースホステル」
外国人のかたが多くその日も結構泊まっていたが どうも日本のユースに泊まるのは初めてな
方が多いようで布団の敷き方やシーツの敷き方などをペアレントから教えて欲しいと言われたが
自分の物を敷いて用事で離れたら外人が私の布団で寝ていた。
言葉がわからないのは、どうも困るが 外人もずーずーしい。
何とか自分の布団も確保して寝ることは出来たが・・・。
彼らは、そこから船で沖縄に行くらしかった。
続く
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